【宇宙くんの手紙】中村咲太

2037年の地球|中村咲太さんが語る仕事・お金・経済の未来

2037年の地球は予言ではなく選ばれる未来

中村咲太さんが語る2037年の地球は、決められた未来や予言ではありません。

それは、人類がどの意識を選び、どの在り方で生きていくかによって到達しやすくなる、一つのパラレル・タイムラインです。

未来は「当たるか外れるか」で語るものではなく、「自分がどこへ向かう存在になるか」で決まっていくという前提が、動画全体を通して一貫しています。

未来は向こうから一方的にやってくるものではなく、私たち自身が波動を合わせて入り込んでいく世界だという視点が、とても重要なポイントとして語られていました。

「未来は決まっていない」という言葉は、不安を煽るためのものではなく、創造の主導権が自分たちにあるという宣言のように感じられます。

だからこそこの話は、遠い未来の空想ではなく、今この瞬間をどう生きるかという問いに直結しています。

待つ人ではなく、創る人として生きるのか。

誰かや国の判断に人生を委ねるのか、それとも自分の選択に責任を持つのか。

2037年の地球の話は、その分岐点を静かに、しかしはっきりと示しているように感じました。

生きることが保証された社会とAIが支える経済

咲太さんが見てきた2037年の地球では、「生きるために働かなければならない」という前提そのものが消えています。

生活していくこと、生きていくことは、すでにベースとして保証されている状態です。

今の地球に強く残っている、お金や仕事に対する不安、欠乏感、生存競争の意識は、ほぼ一掃されています。

それを可能にしているのが、AIとテクノロジーの発展です。

AIは人の仕事を奪う存在ではなく、人の代わりに業務を担い、経済を動かす役割を果たしています。

自分が労働しなくても、国のシステムやAIによる仕組みから、自然と豊かさが循環してくる状態が当たり前になっています。

印象的なのは、「AIに仕事を奪われる」という恐れの意識を持ち続けた人たちは、その未来には存在していなかったという点です。

AIを敵と見なすのではなく、自分の分身のように活用し、共に創造する選択をした人たちが、その世界に移行しています。

自分が社長で、AIが社員のように働いてくれるという感覚は、支配や管理ではなく、信頼と委任に近いものです。

生きるために必死になる必要がなくなったとき、人類はようやく次のテーマに向き合えるようになります。

それが、「何をすれば生きられるか」ではなく、「私は何を表現したい存在なのか」という問いです。

お金ではなく愛の表現が循環する仕事とプロジェクト

2037年の地球では、お金が完全に消えたわけではありません。

ただし、社会を動かしている中心はお金ではなく、「愛の表現」になっています。

生きることが保証されているからこそ、人は「やらなければならない仕事」ではなく、「やってみたいこと」にエネルギーを向けられるようになります。

その「やってみたい」という衝動は、魂の望みから生まれたものであり、それ自体が愛の表現です。

この愛の表現が、2037年の世界では自然に循環しています。

働き方も、今とは大きく異なります。

会社が先に存在するのではなく、まず世界中に無数のプロジェクトがあります。

地球、人類、動物、自然がより良くなるための「ハッピープロジェクト」や「重要なプロジェクト」が、至る所に生まれています。

そのプロジェクトを実現するために、必要な役割が後から生まれます。

人は会社に所属するのではなく、「このプロジェクトのこの役割をやる」と自主的に選びます。

役割を終えればチームは解散し、また別のプロジェクトへ向かいます。

やるかやらないかは完全に自由です。

生きるために強制されていないからこそ、参加する人たちは純粋な喜びとワクワクを動機にしています。

その様子は、ゲームのサブミッションや、遊園地のアトラクションを選ぶ感覚に近いと表現されていました。

仕事は義務ではなく、魂の遊びであり、創造の場になっています。

その結果として生まれる価値が、世界に還元され、循環していくのです。

未来に行く条件は自分がその波動になること

咲太さんが最も強調していたのは、「その未来を待たない」という姿勢です。

2037年の地球は、すでにどこかの次元に存在しています。

そこに行けるかどうかは、時間の問題ではなく、波動の問題です。

その自由で創造的な世界に相応しい在り方になっているかどうかが、分岐点になります。

国がどうしてくれない、政治が悪い、環境が整っていない。

そうした意識に留まり続けている限り、その未来には辿り着けません。

2037年の世界は、創造性が解放された世界です。

誰かのせいにする意識ではなく、「すべては自分次第」という地点に立った人たちが生きています。

自分がやりたいことを選び、自分でプロジェクトを創り、あるいは共感するプロジェクトに参加する。

その選択を引き受ける覚悟と自由が、同時に存在しています。

自分が愛であるなら、どんな環境でも愛で在ることができます。

愛せるものと愛せないものを分けるのではなく、自分自身が愛そのものになるという在り方が、次の地球にフィットした状態です。

未来を変えようとするよりも、自分を変えることに集中する。

その結果として、気づいたらその未来に立っている。

2037年の地球の話は、そんな静かで確かな進化の道筋を示してくれているように感じました。